ヒナステラ クレオール舞曲の組曲 op.15より第5曲 vol.1

コンクール

アルゼンチンの作曲家、ヒナステラの作品です。
アルゼンチンというとクラシック音楽からは遠いイメージですが、専門的に学んでいるとどこかで必ず出会う人物です。
私は大学に入ってからヒナステラの作品に出会いました。ソナタの第1番でしたが、冒頭からリズムの強烈さと民族を超えて魂に訴えかけてくるものがありました。演奏効果が高く、なんて難しそうなんだ!と思いました。(実際テクニックは難しいと思います)

ヒナステラは大学生くらいになったら弾くものかと思っていたら、最近は小学生もよく弾きますね。
数年前ピアノのコンクールを聴きに行っていて、小学生の子が大迫力の曲を弾いていてびっくりしたのですが、ヒナステラのアルゼンチン舞曲集の「ガウチョの踊り」でした。

演奏効果が高くカッコ良いので、自分でなくてもいつか生徒さんにも弾かせられるかなあなんて思っていましたが、なんとなく選曲に勇気がいて手を出せませんでした。

そんな感じだったのですが、コンクールや本番前にレッスンに通ってくれる中1の生徒さんが、今年に入りクレオール舞曲の第5番を弾くというので、わたしもついにヒナステラデビューすることになりました。

弾いてみると、確かに技巧や迫力的に難しさはありますが、野性味溢れると言いますかとにかく高揚感があります。大学時代のピアノの教授の授業でコープランドの作品を学んだとき、自分の中でクラシックの枠が広がったと思いましたが、その時と同じような感覚があります。

ヒナステラってどんな人?

アルベルト ヒナステラ1916-1983
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス生まれ。
父はスペインのカタルーニャ地方出身、母親はイタリア系。
音楽家の家系ではありませんでしたが、幼児期から音楽に関心を持ち、フォルクローレ(ラテンアメリカ諸国の民族音楽や、民族音楽に基礎をおいた大衆音楽)を聞いて育ちました。

ブエノスアイレスのウィリアム音楽院で作曲やピアノなどを学び、その後国立音楽院で作曲を学び、1941年には国立音楽院教授となりました。
第二次世界大戦後にはアメリカに渡り、タングルウッドのバークシャー音楽センターでコープランドに学びました。
その後アルゼンチンに戻り、アメリカ、ヨーロッパ(スイス)で生活しますが、アルゼンチンでは作曲家協会を設立 するなどラテンアメリカの音楽家育成にも尽力しています。

日本ではとてもメジャーというわけではないかもしれませんが、ピアノソロの作品では、ピアノソナタやアルゼンチン舞曲は近年コンクールなどでよく弾かれます。
ピアノ作品の他にも、ピアノ、チェロ、ハープ各協奏曲やバレエ音楽、管弦楽曲、オペラ、声楽曲、室内楽なども書いています。

ヒナステラの作品は大きく3期に分けられます。
⑴客観的民族主義(1937~1946)
アルゼンチンの風景や人々の暮らしを素材とした、民族色の強い作品。
⑵主義的民族主義(1946~1960)
直接的にアルゼンチン民謡を使ってはいないが、それを伺わせる背景や特徴が見られる。
⑶新表現主義(1960~1983)
12音技法、微分音、多調性など近代的な手法を使い、無調へと向かっていく。

クレオール舞曲は、1946年アメリカ留学中の作品で、典型的な客観的民族主義の曲です。

アルゼンチンの歴史と音楽

演奏のヒントの前にもう少しアルゼンチンの音楽について掘り下げてみましょう。

アルゼンチンといえば、タンゴ!それからアルゲリッチ・・・くらいしか知りません。
ガウチョ?クレオール?ヒナステラの作品は馴染みのない言葉がいっぱい!

タンゴといえばピアソラだよね。ピアソラはヒナステラの弟子だったんですって。アルゲリッチは泣く子も黙る大ピアニストですね。よくヒナステラのアルゼンチン舞曲を演奏していますね。
アルゼンチンの音楽を知るには、アルゼンチンという国の歴史や文化について知る必要があります。ヒナステラの音楽に必要不可欠なガウチョ、パンパ、クリオージョなど・・・。
戦争や内戦が多く複雑なため、いきなりディープなところまではいけませんが、観光気分でできるだけ調べてみましょうか。

遡ること15〜16世紀、アルゼンチンはインカ帝国に征服されていました。
その後、1516年から1810年までの長きに渡りスペインの植民地でした。スペインの勢力は大きく、大西洋側とペルー側から都市を建設、そこではヨーロッパの生活が繰り広げられ、アフリカからは黒人奴隷も送られています。
スペインは自国以外との貿易を禁止したり身分差別を行ったためクリオージョ(南米生まれのスペイン人)は不満を募らせていきました。
1810年にナポレオン(フランス軍)がスペイン本土を占領したのをきっかけに、アルゼンチンを治めていたスペインの副王を倒し、アルゼンチンは独立宣言します。(5月革命)
1880年にはブエノスアイレスが首都になりました。内政が安定すると、ヨーロッパから大量の移民がブエノスアイレスに流れ込み、ヒナステラが産まれる頃には人口の約30%が外国出身者になるほどでした。

へー、いろんな人種がいたんだね!

それから、アルゼンチンの歴史やヒナステラの楽曲で重要な、クリオージョとガウチョについて調べたよ。

クリオージョ スペイン出身者が移民をし、現地に定着しそこで生まれた子供。もしくは先住民との混血。クレオールは英語読み。彼らのほとんどが国際的な教養を身につけていましたが、本国からは1段下に見られていました。そのため不満を募らせ、スペインからの独立は彼らが先頭に立って行いました。独立後は支配層になります。

ガウチョ 南米のカウボーイ。18世紀末、アルゼンチンやウルグアイのパンパ(大草原地帯)の農村に住み、牧畜に従事していました。荒々しい性格ではありながら、人情、友情、義理などを重んじる人々でした。(武士!!)
独立戦争などに借り出され、主人のために真剣に努めたそうです。このようなガウチョの気高い精神は今も受け継がれています。

ガウチョ

ガウチョってカッコいいな!ロマンを感じます☆

ちなみに!私もよく履いてるガウチョパンツは、ここから来ているんだって!

このような歴史の中で、アルゼンチンの音楽は先住民族の文化、スペインの文化、クリオージョ(ガウチョ)のリズム、アフリカの音楽、ヨーロッパ移民など様々なところから影響を受けたものとなりました。

アルゼンチンのフォルクローレ(代表的なもの)

ミロンガ ・カンペーラ(田舎のミロンガ) 大草原地帯の伝統的リズムで、ガウチョたちが労働のあと、思い思いにギターを手に弾き語ったのがはじまりと言われています。 ギター一本で演奏されることが多く、ゆったりとした4拍子による、独特の哀愁を帯びたムードが特徴です。「牛車に揺られて」という曲が有名。

ミロンガ・シウダーナ(街のミロンガ)こちらは速いテンポのミロンガ。タンゴに似ています。

チャカレーラ アルゼンチンフォルクローレの中でも最も速く、快活なリズム形式による舞曲。楽器はギターとボンボ(牛の革で作られた、肩から吊るす大太鼓)を基本として、歌の付く曲が多く、様々な旋律楽器も使われます。リズムは便宜上譜面では6/8拍子で表記されるが、実際は2拍子と3拍子が同時進行する独特なもの。

サンバ ブラジルのサンバとはまったく異なるもの。ギター、ボンボや、ヴァイオリン、バンドネオンなどが伴奏に加わり、また、美しく着飾った、ガウチョとチニータと呼ばれる男性舞踊手と女性舞踊手 が、右手にハンカチをかざして対になって踊ります。

チャマメ 基本的にアコーディオンとバンドネオンのコンビネーションをギターが伴奏する形式で演奏される、軽快なダンス音楽。

マランボ アルゼンチンの伝統的なダンスで、男性のみが舞う力強い踊り。
男性たちはガウチョのブーツを履き、ガウチョパンツを翻しながら、素晴らしい足さばきで力強く踊ります。タップダンスの一種で、とても素早く複雑な動きです。
ダンスの際は音楽はリズム主体でしっかりとした旋律はありません。

これらのようなフォルクローレがあります。

soraくんも憧れるガウチョがかなり関わっているのがわかります。ヒナステラはこのようなフォルクローレを聞いて育ち、併せて西洋音楽を学び、自身の創作の糧にしていったと考えられます。

なんだかアルゼンチン熱が高まって来ました!弾きたくて(踊りたくて?)ウズウズしてきたよ。

それは何よりです!くわしい演奏のヒントはvol.2に続きます☆☆☆

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